2012年8月26日日曜日

抑制された歌唱法と表現の幅の的確さ—福岡ゾリステンコンサートシリーズ1

 「シューマン うた 物語」と題する『福岡ゾリステンコンサートシリーズ1を聴いた(826日、ひびしんホール)を聴いた。
 出演者は福岡ゾリステン主宰のバリトン原尚志、ソプラノ青木つくし、ピアノ山本佳代子である。演目は演奏会名のごとく、シューマンの歌曲集『ミルテの花』『ゲーテのヴィルヘルム・マイスターにもとづくリートと歌』からの抜粋と,『詩人の恋』全曲を中心に、他に団伊玖磨と木下牧子の歌曲数編。
 福岡ゾリステンは2010年に発足し、これまで高折續や河野克典を講師に招いての歌曲講座や、それらと関連させた研究発表演奏会を継続して催しており、その活動は熱意のこもったもので、非常に気合いも入っている。
 原が歌った『詩人の恋』は、201012月の第1回研究会での演奏を含めて今回が2度目の聴取の機会。以前もそれなりにたのしんだが、今回はそれ以上。抑制された歌唱法と表現の幅の的確さを、私は心からたのしんだ。声質もじつに味わい深いものを持っている。ただ、声域によって声質にばらつきが多少はなくもないが、味わいを減じるものではない。これらは今後の成熟とともに矯められていくであろう。
 青木は木下牧子の歌曲の演奏がよかった。声質が曲がにあっているし、日本語がよく聴き取れた。
 山本のピアノはスケールが大きく、歌のパート以上に音楽構築に積極的に関わっていた。音楽構造が非常に聴き取りやすい演奏であった。このことは、私が演奏の良否を判断するさいの重要な基準になっている。
 「ひびしんホール」の中ホール(310席)は前衛的な舞台芸術にも対応した多目的ホールである。クラシック・コンサートのためには響きの面で相応しいのか、かなり心配して会場に足を運んだのだが、杞憂に終わった。前半に座った最前列席も、後半での最後列も、充分に声もピアノもよく響いた状態で聴き取れた。問題はステージ上の演奏者の「聴こえ」の状態であるが、これも演奏者に直接訊いたところ、悪くはないと言うことであった。だとすれば、会場の雰囲気も悪くないし、けっこう「使えるホール」になる。
 さて、最近、第外国語のドイツ語やフランス語の学習が敬遠されている状況で、歌曲に親しむ機会が非常に減っているように感じる。私自身も大手のCDショップにおいてもシューマンの『詩人の恋』の入ったCDがなかなか見つからなかった経験がある。優れた詩の世界を声とピアノで描いていく歌曲は音楽表現の根幹を成すものであり、その魅力に一旦目覚めると他のジャンルとは別格の感動を与えてくれるジャンルである。そう簡単に見捨てられるものではない。その意味では、今回、日本歌曲を取り上げたのも「詩」と「言葉」の面でも、正解であった。
 しかし詩や言葉はあれども、音楽である限り重要なのは音楽構造である。その意味で、音楽構造が聴き取りやすい演奏を高く評価する傾向が私にはある(私は作曲家ですから)。今後のために望むのは、音楽構造を的確に把握し、その構造を聴衆が容易に把握できる演奏を目指すことである。(D.F.ディスカウの偉大さは、音楽構造の把握の的確さにあると私は思っている。)

2012年8月21日火曜日

年に1回の定期だけなんて!‥‥アクロス弦楽合奏団第6回定期演奏会 


 819日(日),アクロス福岡シンフォニーホールで「アクロス弦楽合奏団 第6回定期演奏会」を聴いた。曲目はロッシーニ《弦楽のためのソナタ第6番ニ長調》、J.S.バッハ《2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調》BWV1043、ヴィヴァルディ《4つのヴァイオリンのための協奏曲変ロ長調》RV553、グリーグ《2つの悲しい旋律》op.34、スーク《弦楽合奏のためのセレナード変ホ長調》op.6
 アクロス弦楽合奏団はアクロスヴァイオリンセミナーの講師景山誠治の呼び掛けによって発足した弦楽合奏団である。地域在住の団員はわずかで、団員の多くは東京で別個に演奏活動をしている。その関係で、定期演奏会は年に回しか行うことが出来ないようだ。その意味では福岡からの音楽文化の創造発信を直接的に目指しているのはなく、福岡の人に鑑賞機会を与えることを目指しているようだ。つまり外来や中央からの演奏団体の「買い取り」公演と大差ない。せっかく福岡ゆかりのアクロスの名前を冠しているのであれば、それ以上のことをアクロス福岡は地域の人々のためやってほしい。
 演奏そのものは、東京のオーケストラの首席奏者レベルの者を集め、アクロス福岡の全面的バックアップを受けてリハサールなども集中的に行っているだけに、「うまい」。ロッシーニやグリーグ、スークなどの普段余り聴く機会のない音楽を聴くことができたのも、嬉しかった。
 ただし演奏上ではいくつかの不満もあった。バッハでは2つのソロヴァイオリンパートの音量に差がありすぎて、ソロヴァイオリン同志の絡み合いがあまり聴き手に伝わってこない。第1楽章では合奏にメリハリを欠いた部分もあった。また、グリークではその第2楽章においてチェロの主旋律を彩るはずのヴァイオリンパートが音量的に目立ちすぎ、その主旋律が充分に伝わってこない。スークにも同様のところがあった。また、グリーグやスークなどの曲は、本来もう少し大きめの編成の弦楽合奏でやった方が、旋律線がくっきり伝わり(特に低音弦)、和声そのものも倍音効果でより豊かに響く。和声音楽様式のロマン派以降においては、通常のオーケストラの弦楽パートくらいの数による合奏の方が私は好みだ。つまり逆に言えば、バロック様式の室内弦楽合奏団の良さがこれらのグリーグやスークの演奏ではあまり感じられなかったということである。
 この合奏団は指揮者を置かないのがポリシーなのだろう。しかしおそらく指揮者がおれば、楽器群間の音量や表情のバランスの調整がつき、例えば「チェロの主旋律を彩るはずのヴァイオリンパートが音量的に目立ちすぎ、主旋律が充分に伝わってこない」というようなことはないだろうと思った。
 なお、ヴィヴァルディの4つのソロヴァイオリンという協奏曲の編成はおもしろい。一つの音楽線を4つのヴァイオリンが分奏するという形態は非常に効果的で、特にその第2楽章ラルゴの美しさには固唾をのんで聴き入ってしまった。私自身、この編成で音楽を作曲してみようというアイデアを得たほどだ。
 さて、毎度のことだが、今回のプログラム冊子にも不満があった。写真入りで演奏者のことを紹介しているのはよいと思うが、バッハとヴィヴァルディの協奏曲でソロを弾いているのが誰か、プログラムにはまったく触れられていない。2階4列の私の席では演奏者の顔などまったく見えず、プログラム冊子の写真とも照合がつかない。これではソロ担当の演奏者にも失礼だ。
 それと、合奏団のこれまでの活動記録がプログラム冊子には書かれていない。福岡ゆかりの演奏団体としてアクロス弦楽合奏団のファンを増やしていこうとすれば、これは必須だ。また、今後どのような方向を目指していこうとするのか、地域の人にアピールするメッセージもほしい。
 あらためて言いたい。外来や中央からの演奏団体の「買い取り」公演との明確な差別化をはかるようにしてほしい。福岡のひとのために。

2012年8月2日木曜日

チラシ、プログラム冊子も コンサートの一部、チョン・ミョンフン指揮のアジア・フィル

 8月1日、チョン・ミョンフン指揮アジア・フィルハーモニー管弦楽団をアクロス福岡シンフォニーホールで聴きました。曲目はシューベルト《交響曲第7番ロ短調「未完成」》とベートーベン《交響曲第3番変ホ長調「英雄」》。クラシック音楽大好き人間である私は何を聴いても、音楽に集中できる時間が持てること自体がうれしく、それなりにいつも感動します。
  今回も同様です。チョンの指揮は表情が細かいところまで息づいていて、私は大好きです。前の月に聴いたゴロー・ベルク指揮九響の《英雄》ようにテンポが速すぎると感じることもなく、ベルクが与えた乱れた感じの第2楽章の複前打音の箇所も巧みに処理されていました。さすがと感じました。
 しかしオーケストラはやはり「寄り合い所帯」の感は拭えず、深い満足を覚えた、とはとても言うことはできません。これはヨーロッパで大都市の有名オーケストラの定期を聴いてきた体験からの感想です。事前鳴り物入りの紹介が大きい演奏団体に関しては、期待値も比例して大きいだけに、評価基準がどうしてもきびしくならざるを得ません。したがって、知人たちが素晴らしい演奏だったと、皆、褒め称えていましたが、これは比較の上での話です。アインザッツは不揃いな箇所もないわけではなく、楽器間のバランスもいまいちの箇所が散見でき、第3楽章のホルンはよかったものの、管楽器のアンサンブルもいつも安心して聴けるばかりではありませんでした。何かコクが感じられません。弦楽合奏ももっと上手い楽団はいくらでもあるように思いました。しかしそれはそれで、聴き手としてはたのしんだのですが‥‥‥。
 それにしても今日のコンサート、チラシには演奏曲目として「ベートーベン《交響曲第3番変ホ長調作品55「英 雄」》ほか」と書いてあるだけでした。これは不親切きわまりないと思いました。いろいろなクラシック音楽の楽しみがあることは否定しませんが、クラシック音楽の最も本格的な楽しみ方、いわゆる通(つう)の楽しみ方は音楽の構造聴取です。クラシック音楽の構造は複雑で、事前に楽譜でも見て予習しておかないと、コンサートでは構造聴取による感動までなかなか行き着きません。だから、チラシに曲目が書いていないのは不親切きわまりないのです。予習できないからです。実はこの予習することは、コンサートでクラシック音楽を聴く際の大きなたのしみのひとつなのです。
  また、アジア・フィルハーモニー管弦楽団の実態も伝わりにくい。本拠地はどこで、メンバーは固定しているのか、毎回の寄せ集めなのか、何も情報がありませ ん。プログラム冊子には団員の紹介は一切なく、コンサートマスターの名前すら書いていません。ようやくチラシの束の中に英文表記の団員名リストを発見しま した。記録するという観点から言えば、プログラム冊子にきちんと団員リストを表記すべきだと思います。「寄せ集め」の管弦楽団ならばなおさらです。
 今回のツァーでは、福岡以外のどこでコンサートを実施するのかも書いておらず、1日の福岡のコンサートの位置づけも不明でした。また、なぜアジアなのかもよく分かりません。欧米にないクラシック音楽のあたらしい潮流を創造しようとしているのか。そうであるならば、曲目編成にも独自なものを。たとえばアジア出身の作曲家の作品を紹介するなどの試みがあってもかまわない。いや、おおいにそうすべきではないでしょうか。
 今回もアクロス福岡主催のコンサートのプログラム冊子はお粗末の一言。曲目解説ついては、それを書くことで聴衆にどのような情報を与えようとしているのか、さっぱり理解できません。文章そのものもまずい。執筆者の柿沼唯は書く力を本来持っていると思うが、正直言って、気を抜いているようにしか思えぬ文章でした。また、ページレイアウトも行間が狭く、はなはだ読みにくい。こういうのはきちんとしたテンプレートがあるはずなのだから、それに適うように原稿を書いてもらえ ばよいのではないか、と思いました。
 会場はけっこう空席が目立ちました。もったいない、と思います。チョン・ミュンフンの名前があってもこれなのです。けっして福岡の聴衆が悪いのではありません。主催者の創意工夫と聴衆への愛で、空席は減らせると思います。偉そうなことを言って申し訳ありませんが、私の周りの一致した意見でした。