今回、予定されていた指揮者の体調不良という不測の事態を乗り越え、稔りある成果を出した九大フィルに敬意を表したい。また、そのように導いた横川の音楽能力と情熱も高く評価したい。両者とも不測の事態があったなどとは感じられないほどの落ち着きであった。
プログラム最初のスメタナの曲では九大フィルはやや緊張気味で、表現がおとなし過ぎるように感じた。その分、乱れの少ない端正な演奏に終始し、徐々にスメタナの音楽世界に導いてくれた。私個人はこれまでスメタナの音楽に共感するところが少なかったのであるが、なぜか今回、非常に集中して聴くことが出来、その音楽世界に心地よく魅せられた。
ブラームス《クラリネットソナタ第1番》については評価が難しい。理由はピアノ伴奏を管弦楽に編曲して、協奏曲のスタイルを模したところにある。ベリオによる編曲は管弦楽だけを聴いているといかにもブラームス的であり、よく出来ている。しかし、その音量がクラリネットの音量を上回っていることが多く、独奏クラリネットの演奏をたのしむことができない。また本来協奏曲ではないのだから独奏楽器による超絶技巧的パッセージがないのは当然であるが、協奏曲のスタイルを模したために耳に愉悦を与えてくれるそうしたパッセージをつい期待してしまう。それが叶えられないことによる欲求不満が生じたのである。
チャイコフスキー《悲愴》は聴き応えがあった。何よりも管弦楽がよく鳴る。チャイコフスキーは中途半端な楽器配分をしないので、大体いつも響きが豊かで、聴いていて気分がよい。ただし、第2楽章冒頭のチェロの主旋律に対するクラリネットやバスーンによる和音吹奏伴奏などはいわゆる中途半端な楽器配分の箇所であり、演奏の巧拙が顕わになるところで、九大フィルも多少もたついて聞こえた。総体的に言えば、第4楽章のテンポが速すぎて若干の違和感があったことを除けば、横川の指揮は細部の表情に気を配ったもので、過去にこの作品を何度も耳にした私の耳を充分に満足させてくれた。なお、第1楽章第2主題などで、フレーズの区切りに余計な休符を感じさせてしまうところが個人的には多少気になった。
さて、ここまで書いてきて、私は、九大フィルが大学の同好の士が集まったいわゆるアマチュア演奏団体であることを失念していたことに気付いた。上の批評はアマチュア対象に行うものではない。つまり、それほど、その演奏はよかったわけだ。そのように考えると、いわゆるプロのオーケストラ(例えば九響)はアマチュアのオーケストラとの間に演奏の巧拙を超えた違いを構築しないと、ちょっとまずいことになるのではないか‥‥、お節介かも知れないが、そんな思いにとらわれてしまった。
(中村滋延)