2012年7月1日日曜日

身近に感じることが感動を‥‥、福岡学生シンフォニーオーケストラ

6月30日アクロス福岡シンフォニーホールにて「福岡学生シンフォニーオーケストラ第9回定期演奏会」を聴く。指揮は寺岡清高。曲目は、ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲》、J.シュトラウスJr.《青き美しきドナウ》、マーラー《交響曲第1番巨人》。福岡学生シンフォニーオーケストラ(以下、福岡学生オケ)は、九州大学芸術工学部フィルハーモニーや九州工業大学交響楽団、西南学院大学管弦楽団、福岡大学交響楽団、福岡教育大学管弦楽団による合同オーケストラである。
 4日前に九大フィルの定期演奏会を聴いたばかりなのだが、この日の福岡学生オケの演奏にも非常に感激した。もちろん彼らの演奏技量が高かったことと、音楽にかける熱意と愛情によるものである。しかしそれ以外にも、幾分、特殊な理由もある。それは、両オーケストラとも私が授業で接している学生がかなり入っており、そのことでオーケストラ自体の存在を非常に「身近に感じ」たからである。誤解を恐れずに言うと、これらの演奏会では、私自身があたかも関係者としてリハーサルやゲネプロを聴いているような感じがしたのである。つまり、「我がこと」として、まるで自分自身が指揮をしているかのように、ヴァイオリンを弾いているかのように、顧問かマネージャーであるかのように感じ、集中していたのである。実は、この集中が、私に感激をもたらしたのだ。
 感激というのは絶対的なものではなく、純粋なものでもない。様々な状況や関係によって、ひとつの事象に対しての感激の度合いは異なる。一流の演奏家と音響機能抜群のホールを用意したから、はい、それで「OK」とはならない。それらは状況や関係の一つでしかない。今回は「身近に感じ」たという状況や関係が感激の大きな要因だったのである。(「身近に感じ」させることは、じつはプロのオーケストラにとっても大切なことなのだが、これについては別の機会に。)
 しかしそれとても、確かな演奏が土台にあってこその話である。そのことをよく表していたのがマーラー《交響曲第1番巨人》。この曲は個々のモチーフやパッセージに意味が与えられており、モチーフやパッセージの絡み合いによって様々な新たな意味が絶対音楽的持続の上に生じる。寺岡の指揮は、それらの個々のモチーフやパッセージの意味を的確に感じさせるように仕向けていた。例えば、第1楽章のトランペットのファンファーレ(ステージの裏で演奏させていた)、第2楽章のオスティナート、第3楽章のオーボエの主題など。福岡学生オケはその指揮によく応えていた。そして圧巻は第4楽章。構造聴取という知的作業を圧倒的な音量と迫力で無効にし、身体的な快感で聴き手を包み込んでくれた。うん、これもオケの魅力。そのこと可能にしてくれたのが、合同オケならではの多人数による弦楽パートである。それが後期ロマン派の豊穣な音の世界を十分に堪能させてくれたのだ。
(中村滋延)

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