第46回九州サマーフェスティバル第一夜「九州交響楽団と福岡出身の若手音楽家による『海と水』」を聴いた(7月16日、アクロス福岡シンフォニーホール)。演奏曲目は、ワーグナー歌劇《さまよえるオランダ人》序曲、チャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番変ロ短調》、ベートーベン《交響曲第7番イ長調》。ピアノ独奏は高雄有希、指揮はゴロー・ベルク。
「海と水」というテーマとコンサートの内容との関係がどう考えてもわからない。コンサート開催日が「海の日」だから。日本財団が助成しているから。また「福岡出身の若手音楽家」とは高雄のことなのだろう。プロフィールを読むと彼は福岡生まれらしいから。しかしそれ以上は彼と福岡との関わりは書かれていない。九州サマーフェスティバルには県や市からも助成金が出ているはずで、その理由には福岡出身の若手音楽家を育てたいという思いが込められている。であれば、もう少し彼と福岡との関わりについて書きようがあると思う。
ちょうどこの一週間前にこのベルクと九響の定期演奏会を聴いている。その定期の曲目はモーツァルトとベートーベン。ところがその定期の編成の方が大きい。コントラバスは8人。時代が下がって管弦楽編成が大きくなっているはずの「サマーフェスティバル」の曲目の編成の方が小さい。コントラバスは6人。弦はそれぞれのパートで明らかに1プルトずつ減っている。これは逆だろう。九響の経営上から配慮によるもので、指揮者の意思ではないように思うが。
ところで、ゴロー・ベルクはほとんど暗譜で指揮をする。なかなかの勉強家のようだ。明快な指揮ぶりで、管弦楽奏者には分かりやすそうに思える。終始インテンポでぐいぐいと音楽を進めていく。ただ1拍目の強拍にアクセントがつきすぎて、たとえて言えば極端な「楷書」的演奏。したがってベートーベン《第7番》でのテンポの速い楽章ではそれなりに聴かせるが、テンポのゆっくりした楽章では本当に味わいがない。特に第2楽章などはテンポが速すぎて、味わっている余裕がない。この第2楽章では、複前打音の箇所が不揃いで、音が非常に汚く感じる。一週間前の《英雄》の第2楽章でも同じことを感じたが、まさか、バロックのように複前打音を完全に拍の内部でとっていることはないと思うのだが。
高雄のチャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番》独奏にはがっかり。チラシやプログラム冊子に麗々しく書かれていたプロフィールはインチキではないかと思わせるほど。音も硬質で、およそ美しさを感じさせる音ではない。また、演奏にタメがなく、まったく一本調子のままで進行する。第2楽章ではところどころ管弦楽とずれを生じさせ、第3楽章ではミスタッチとも何度か出くわした。最後まで弾き終わって「よく止まらずに弾ききったね」と思わず励ましの拍手をしてしまったほどだ。
ところで、40年以上も続いた「九州サマーフェスティバル」は今年で終わるそうだ。クラシック音楽に親しむ機会が減るのは私のような「クラシック音楽大好き人間」にはつらいことだが、「九州サマーフェスティバル」の場合は寿命かなと思う。第一夜と銘打ちながら、そのプラグラム冊子には同フェスティバルの他コンサートの情報はまったく載っておらず、プログラム冊子自体はB5用紙大の4ページしかなく、その中身もきわめて稀薄。曲目解説の文章もお粗末。どのようにして集客しているのか不明だけれど、楽章間に大きな拍手があったり、客席でがさがさと音をさせたり、未就学児童の声がしたりで、客席の聴衆が互いに音楽体験を共有しているという実感がほとんどない。感動には縁遠い。まあ、個人的には、「クラシック大好き人間」の私は音楽に集中する時間があるだけでうれしく、たのしみましたが、しかしこれではクラシック人口は増えないなあ、と実感した。
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